梅田地下街の迷宮とフランスベッド back to 1982#1
今回は大阪の昔話の第一話です。1982年に松下電送に入社した私は、新人研修後に大阪への出向を命じられました。出向先は、守口の松下電器産業(現:パナソニック)の中央研究所でした。ミッションは、当時、研究所で開発されていた光ディスク(今のDVDを大きくしたもの)を使用し、電子ファイルと呼ばれるシステムを商品化することでした。 大阪には1年ほど住んでいましたが、当時は関西は関東に比べて別の国のように感じました。 江戸時代から自主独立した商人の街として栄えた関西の方は、合理的で自由でカオスです。電車に乗る時には並ぶ必要がなく、確実に歩くのが速く、コンコースでも暗黙の人流がなく、各人が思い思いの方向に歩きます。 大阪の中心街の梅田には、巨大な地下街があり、JR大阪駅からの人流と阪急からの人流と東梅田駅からの人流が合流する場所があります。その人流はまるで人間のブラウン運動のようなカオス感があり、関東から来た私はカルチャーショックを受けました。 梅田の地下街はクモの巣のように次々とつながり、温泉旅館の増築のように広がっています。「梅田地下帝国」とも呼ばれ、世界レベルの規模を誇ります。今はだいぶ整備されていますが、1982年当時は照明も暗く、迷路のように路地が入り組んでいました。 ある日、飲みに行った帰りに阪神電鉄方面の地下街に迷い込んでしまいました。そこには袋小路が存在して、フランスベッドとおぼしき立派なベッドが置かれていました。幸いなことに、その時はこの地下の住人は不在でしたが、ここに住んでいる模様です。 1982年、梅田の地下街にはフランスベッドとそのベッドに寝泊まりする住所不定の方が暮らしていました。大阪は不思議で魅力的な街です。 ※イメージはBing Image Center(OpenAI:DALL:E)で自動生成(プロンプト:大阪地下街の何もない袋小路にフランス製ベットが置かれている様子)