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JAZZ BAR セレンゲティの話 back to 1982#2

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今回も1982年の大阪の話の第二話です。入社早々、大阪出向になった私と同期は半分観光気分で、休日は京都、神戸、奈良と遊びに行っていました。関西と言っても各エリアで言葉や文化も人の気質も異なりますし、大阪、神戸の中でも北と南ではだいぶ違います。阪神電鉄、JR、阪急電鉄と3線が平行に走っているエリアも北ほど上品と言われています。 私が住んでいた守口市は、大阪では鬼門に当たる場所ですが、庶民的な町で当時、文化住宅と呼ばれるアパートが立ち並んでいました。そんな守口でよく通ったのが守口市竜田通にあったJAZZ BAR「セレンゲティ」です。残念ながらネットにも当時の面影を示す写真は残っていませんが、小ぶりでカウンター席があって居心地の良い店でした。 「セレンゲティ」はアフリカのタンザニアにある国立公園の名前で、サックスプレイヤーの渡邊さんとイラストレーターの奥さん、そして渡邊さんのお母さんの3人で切り盛りしていました。お客さんはミュージシャン、アート系の人が多く、色々な人と出会い、色々なことを学びました。時折JAZZのライブもあり、良い居場所でした。 最近はサード・プレイスという言葉をよく聞きますが、サード・プレイスとは自宅や職場とは別の、自分にとって居心地の良い第三の場所、創造的な交流が生まれる場所のことです。「セレンゲティ」は私にとってのサード・プレイスでした。私が東京に戻るときは送別会をして頂き、イラストレーターの奥さんの色紙も頂きました。残念ながらその後、出張の度に店に行っていましたが、いつしかお店はなくなっていました。 最近、「セレンゲティ」によく行っていた私の同期から連絡があり、「セレンゲティ」は名前を変えて大阪・天満のライブハウス「フラット・フラミンゴ」として今も営業していることが分かりました。HPを見たらマスターの写真があり、元気そうで安心しました。 大阪に行くときは、私の最初の「サード・プレイス」であった「フラット・フラミンゴ」に行き、40年ぶりにマスターと奥さんに会いたいと思います。人とのご縁はPriceless。 フラットフラミンゴ店情報 〒530-0041 大阪市北区天神橋4-10-22 千寿ビル3階東 TEL 80-3866-7797(電話不可・ショートメールのみ)

梅田地下街の迷宮とフランスベッド back to 1982#1

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今回は大阪の昔話の第一話です。1982年に松下電送に入社した私は、新人研修後に大阪への出向を命じられました。出向先は、守口の松下電器産業(現:パナソニック)の中央研究所でした。ミッションは、当時、研究所で開発されていた光ディスク(今のDVDを大きくしたもの)を使用し、電子ファイルと呼ばれるシステムを商品化することでした。 大阪には1年ほど住んでいましたが、当時は関西は関東に比べて別の国のように感じました。 江戸時代から自主独立した商人の街として栄えた関西の方は、合理的で自由でカオスです。電車に乗る時には並ぶ必要がなく、確実に歩くのが速く、コンコースでも暗黙の人流がなく、各人が思い思いの方向に歩きます。 大阪の中心街の梅田には、巨大な地下街があり、JR大阪駅からの人流と阪急からの人流と東梅田駅からの人流が合流する場所があります。その人流はまるで人間のブラウン運動のようなカオス感があり、関東から来た私はカルチャーショックを受けました。 梅田の地下街はクモの巣のように次々とつながり、温泉旅館の増築のように広がっています。「梅田地下帝国」とも呼ばれ、世界レベルの規模を誇ります。今はだいぶ整備されていますが、1982年当時は照明も暗く、迷路のように路地が入り組んでいました。 ある日、飲みに行った帰りに阪神電鉄方面の地下街に迷い込んでしまいました。そこには袋小路が存在して、フランスベッドとおぼしき立派なベッドが置かれていました。幸いなことに、その時はこの地下の住人は不在でしたが、ここに住んでいる模様です。 1982年、梅田の地下街にはフランスベッドとそのベッドに寝泊まりする住所不定の方が暮らしていました。大阪は不思議で魅力的な街です。 ※イメージはBing Image Center(OpenAI:DALL:E)で自動生成(プロンプト:大阪地下街の何もない袋小路にフランス製ベットが置かれている様子)