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尊敬する上司(Boss)について語る2023

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 今回の記事は、2013年に私の書いたブログ「尊敬するボスについて語る」の2023年アップデイト版です。私には松下電送、パナソニック時代に尊敬する上司である役員の方が2人います。 一人がM氏です。京都大学、東京大学の大学院を経て松下電送に途中入社されて、モデムの第一人者として活躍され、研究所の所長、パナソニックコミュニケーション時代は副社長を歴任された偉い方です。しかし、気さくで知的で数学からRock(Beatles,Bob Dylan)から歴史まで幅広い趣味を持った方でもあります。在職中はよく飲みに行き、相談に乗ってもらったこともありました。副社長時代に福岡でBob Dylanのライブに行きつつ、博士号を所得した博士でもあります。早くからAI深層学習のニューラルネットワークに取り組まれた方でもあります。 定年前に退職されEgretcomというベンチャー企業を立ち上げられて、72歳の現在も社長兼、MATLABのプログラマーとして活躍中です。お互いにビジネスで関係することもあり、今も交流は続いています。この前、お会いした時に「プログラマのピークは65歳だった。」(笑)と言っておりました。 二人目はK氏です。海外の赴任先のイギリスから戻り、福岡時代の私の部門の担当役員の方でした。忘年会の一次会の後で「濃い酒を飲みに行こうと」と、タクシーで連れて行かれたのが、福岡警固のRockBar「Carmine」でした。Coldplayを聴きながらアイリッシュ・ウィスキーを飲む。大のRockファンで天神のRockBarに出資していました。また、福岡天神のコナミスポーツジムのプールでも何回かお会いしています。「一週間に一度は酒を抜くためジムに来る」と言っておりました。イギリス帰りの知的でカッコイイ大人。 会社の複雑怪奇の派閥人事レースの中で、途中で退職され、別会社に転職された後、数年前まで九州大学 共進化社会システム創成拠点 COIプログラム プロジェクトリーダー 拠点長(長い肩書)を勤められていたそうです。 記事を書いたときから10年経ち、二人とも70代、私も65歳となりました。尊敬でき、こうなりたい上司(Boss)がいるのは私にとっての財産です。いつまでもカッコイイ大人(高齢者)でいたい。Keep OnRockin'. 2人に捧げるPlaylist Beatles 「Rev

ヨーロッパ退屈日記 故伊丹十三に捧ぐ

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 ブログを書き始めて一ヶ月が経ちました。お陰様でアクセス数も1400ぐらいですが、Googl  Search Consoleで見たところGoogle検索からの流入がなく、調べたらインデックス登録がされていませんでした。Googleにサイトマップを送ったのでOKかと思っていましたが、検索エンジンは謎が多いです。今後はSEOの実験を始めます。 今回は私のブログのお手本の本を紹介します。伊丹十三氏が1965年に書かれたエッセイ「 ヨーロッパ退屈日記」です。高校か大学の頃に読みました。彼が映画の仕事でヨーロッパ各国を巡る時の日記、兼エッセイです。 映画、ファッション、スポーツカー、語学など多岐にわたるテーマについて、知的で博学でシニカルかつユーモアがある短い文章(エッセイ)がとても面白く、カッコイイ大人に憧れたものです。その後の「女たちよ!」も面白いエッセイでした。開高健のエッセイも好きでしたが、上から目線の高尚すぎる内容が未だ読むには早すぎたかもしれません。 多才な伊丹十三はその後映画監督としてデビューします。当時、映画会社の監督が主流でしたが、『お葬式』からいきなり数々の映画賞を獲得するなど絶賛を浴び。その後、『タンポポ』『マルサの女』『マルサの女2』『あげまん』『ミンボーの女』などの名作を残します。妻である宮本信子は、伊丹の監督デビュー後は伊丹作品の多数で主演女優としても活躍しました。 周防正行は『マルサの女』のメイキング映像を撮影してくれと依頼され、自身も映画監督になりました、伊丹チルドレンの一人です。 1997年、彼は突然亡くなります。『ミンボーの女』が暴力団を扱ったため公開後に襲撃事件があったことから、当初から暴力団の関与を疑う声もありましたが、原因は闇の中です。次回予定していた創価学会を取り扱ったからとか、色々な陰謀論もありました。 このブログは、私にエッセイの面白さを教えてくれた、カッコいい大人の伊丹十三へのリスペクトの記事でもあります。改めてご冥福をお祈りします。

2025年大阪万博(Expo 2025) 万博ロゴに物申す

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 前回のテーマ大阪万博についての続編です。関東ではほとんど盛り上がっていませんが、2025年に大阪万博(Expo 2025) が、夢洲(大阪市此花区)で開催されます。テーマは 「いのち輝く未来社会のデザイン」です。 前回の Expo70の記事で改めて、当時のロゴの素晴らしさを再発見したので、今回の万博のロゴについて述べたいと思います。ネットで検索したら大阪万博(Expo 2025) のロゴは、一定の条件を満たせば公式に使用ができることがわかりました。さっそく申請をしてダウンロードしました。 公式のこれが公式の応援メッセージ付きのロゴです。アートディレクターのシマダタモツ氏(55)ら「TEAM INARI」の6人の作品です。Expo 70を意識して作られた進化系のロゴとのこてです。 私の感覚の問題かもしれませんが、盗作問題で差し替えとなった東京オリンピックのロゴにしても、今回の万博のロゴにしても明らかにデザイン力が劣化している気がします。 これがExpo 70のロゴです。 作者は日本のグラフィックデザイナー大高 猛です。残念ながら2000年に死去されました。享年73歳でした。 当時のロゴは鮮明に覚えています。日本の桜の花びらをモチーフとした5大陸の調和を謳ったデザインは、シンプルで美しく、コンセプトも直感的に理解できる大変に優れたロゴです。 前回の東京オリンピック、万博のデザインチームはドリームチームでした。丹下健三デザインの国立代々木競技場は建築歴史で傑作と言われていますし、今見ても斬新で美しい。 一方、現在の大阪万博(Expo 2025) ではロゴを始め、マスコットキャラクターのミャクミャクもかなり怪しいキャラです。 日本のデザイン力の劣化を危惧していますが、皆さんはどう感じるでしぃうか?

アポロと万博とラジオ Back to 1969-70

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 今回は今の私の職業と趣味の原点となった1967から1970年(小6から中1)の話です。 1969年、アメリカはアポロ11号で人類初の月面着陸に成功します。この偉業は全世界にテレビ中継され、当時小学6年だった私はテレビの前でずっと観ていました。月面のアポロ月着陸船「イーグル」もカッコ良かったですが、子供心を鷲掴みにしたのが宇宙船への司令を行うNASの「ミッション管制センター」の圧倒的なカッコ良さでした。巨大な部屋にコンピューターと通信機器がズラッと並び、宇宙船と英語で通信してました。小学校卒業文集に書いた将来の夢は「NASAに就職する。」でした。これがまだメインフレームと呼ばれる時代のコンピューターとの出会いでした。 そして、1970年、大阪で テーマ「人類の進歩と調和」の 万国博覧会(通称:大阪万博 Expo '70)が開催されます。大阪万博はみうらじゅんを始め、多くの同世代の子供を熱狂させた夢のようなイベントでした。アメリカ館の「月の石」の展示を始めとし、科学技術の未来を謳う数多くのパビリオン(万博の建物のこと)がありました。大阪万博のプロデューサーで建築家でもあった丹下健三は、多くの気鋭の建築家や芸術家を万博に起用しました。横尾忠則の繊維館も凄い思いましたが、一番インパクトが強かったのが岡本太郎の「太陽の塔」でした。当時の中学生の私からは、岡本太郎は胡散臭い前衛芸術家としか見えませんでしたが、この「太陽の塔」にはなぜか心惹かれました。これがアートとの出会いでした。 大阪は長野県からとても遠い場所でしたが、どうしても大阪万博に行きたくて両親にお願いしました。その頃もう一つ欲しいモノがトランジスタ・ラジオでした。結局、大阪万博かトランジスタ・ラジオどちらかにしなさいと究極の選択を迫られて、選択したのがラジオでした。ソニーの「スカイセンサー」は高額だったので、横にゼンマイで動くスリープタイマーがついたナショナル(現:パナソニック)の「ワールドボーイ」を買ってもらいました。音楽は家族と一緒にテレビの歌謡曲しか聴いていませんでしたが、ラジオで一人で音楽を聴きことが出来るようになりました。これが洋楽と出会いでした。 以降、私は大学で「コンピューター」を学ぶために計算機学科に入学し、ソフトウェアを職業とし、現在に至ります。アートと音楽は趣味として、今でも私の人生を豊

追悼 恩師・田中正次先生 Back to Kyoto in 1980

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2022年8月16日、私の大学・大学院の恩師である田中正次先生がお亡くなりになりました。享年93歳でした。昨年、訃報を知らされましたが、今改めてご冥福をお祈りしたいと思います。 訃報の連絡をきっかけに、コロナ禍で再会が途絶えていた田中先生の研究室(通称:田中研)の同期の友人と交流が復活しました。そんな彼と横浜の野毛で昼飲みし、久しぶりの再会にお互いの近況や家族、chatGPT関連のAIの話題で盛り上がりました。ひとしきりして、彼がある論文と田中先生の追悼文が掲載された工業会の記事のコピーを手渡してくれました。 手渡された手書きの論文のコピーは1980年11月13-15日に京都大学数理解析研究所で開催された第10回「数値計算のアルゴリズムの研究」で田中先生が発表された「5次陽的Runge-Kutta法の特性の比較と最適化」でした。京都に行ったことは覚えていたけど、論文のことはすっかり忘れていたので、非常に嬉しかったです。 Runge-Kutta法とは、常微分方程式の数値解析法として有名な解法で、現在でも工業分野で広く使われています。田中先生はMr.Runge-Kuttaと呼ばれるほどの世界的にも有名な教授でした。当時、私が行っていたRunge-Kutta法のFORTRANプログラムで、ある程度の結果が出たため、学会で発表したと思います。 学会には、田中研のメンバーで車で京都に行きました。学会で発表後、田中先生が手配してくれた旅館で、田中先生、山下先生と学生で宴会をしました。学会は緊張したけど、本当に楽しい思い出です。  田中先生は、男性のみの田中研を気の毒に思ったのか、英和短大(女子の花園)との合ハイを自ら企画して頂いたこともありました。合ハイとは、合同ハイキングの略で、若い男性と女性がハイキング(これも死語)を通して、お互いに交流を深める楽しいイベントの事です。 先生のお陰で本当に知的で、楽しい大学生活を過ごすことができました。この頃の体験が「心の栄養」として、私の財産になっています。又同時代を共に過ごした友人も、私の財産です。Thank you Priceless。 論文は京都大学数理解析研究所のサーバーに今でもアーカイブされています。43年前の私と、田中先生の足跡(Foot Print)はこれからも残ります。 改めて、田中先生と、この論文を紹介してくれた友人にに

スワップの秘密

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今回は技術の話と昔の話です。 スマートフォンやパソコンは、CPU(Central Processing Unit)と呼ばれる小さなコンピューターで動作しています。CPUや周辺回路を入れたシリコンのカケラが半導体です。スマートフォン以外にも、炊飯器、時計、ミサイルなどあらゆる電気で動くものに入っています。半導体は不足したり、制裁で入ってこないと、色々なものが作れなくなる重要な部品です。CPUはメモリと呼ばれる別の半導体と共同で色々な仕事をします。CPUはメモリの上司です。 ここからがややこしい話、部下のメモリに対して、2つの系統の上司CPUが存在します。一つは図のようにリトルエンディアン(little endian)と呼ばれる素直でないメモリ格納方法の上司、代表的なのはインテルです。 もう一つはビッグエンディアン(big endian)と呼ばれる素直なメモリ格納方法の上司、代表的なのはモトローラーやIBMです。中にはどちらもできる上司CPUも存在します。 CPUを持つ装置間でメモリ上のデータ交換をすることを、コンピューター間通信と呼びます。代表的な通信方法がインターネット(Internet)です。 異なる上司CPUの装置が通信する場合、どちらかの方式に従う必要があります。インターネットにおいては、ビッグエンディアンという取り決め(Network Byte Order)が存在します。通信をするため、データの順番を入れ替えることをスワップ(swap)と呼びます。スワップは、一般的に入れ替える・交換するという意味ですが、技術者はこの入れ替えを「スワップする」と言います。 スマートフォンで写真を撮って、友人と共有することも、コンピューターの中では結構面倒くさいことが行われています。 私は以前、パナソニックである製品のソフトウェアを設計・開発するチームに所属していました。そこに、CPUや通信についてあまり知識のない新人が、チームに参加することになります。 職場では「そこスワップして」とか「だからスワップは大変」という会話が飛び交っていました。 ある時、新人くんが顔を赤らめて恥ずかしそうに小声で「スワップって恥ずかしいですよ」と私に言ってきました。どうやら「スワッピングパーティー的な」不道徳なパーティを想像したようです。確かに、普段は(swap)という言葉を使わないな。笑(これは

横尾忠則 VS 画狂人・北斎

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横尾忠則さんは、イラストレーターの時期から、私の大好きな芸術家です。 YMO結成前の1978年の細野晴臣さんのソロ時代の傑作「はらいそ」のジャケットも横尾さんのデザインです。細野さんからYMOのメンバーになって欲しい要望があり、その気になって記者会見に出席する予定でしたが、仕事の都合で断念したエピソードがあります。 横尾さんは86歳ですが、精力的に活動をされていて、今回「横尾忠則 寒山百得」展が、9月12日~12月3日に東京国立博物館表慶館にて開催されます。本展は、横尾さん(1936年兵庫県生まれ)が「寒山拾得」を独自の解釈で再構築した「寒山拾得」シリーズの完全新作101点を一挙初公開する、期待の展覧会です。 寒山(かんざん)と拾得(じっとく)とは、中国・唐の時代に生きた伝説上の詩僧のこと。その奇行ぶりから「風狂」ととらえられ、日本、中国では伝統的な画題となってきました。 個人的に横尾さんに近いと思う人物が、江戸時代の天才画家「葛飾北斎」です。代表作に「冨嶽三十六景」や「北斎漫画」が有名ですが、実験好きの彼は、浮世絵と呼ばれる版画から、肉筆浮世絵、晩年には銅版画、ガラス絵も試みたとのことです。 これは、葛飾北斎、晩年の作品、信州小布施・上町祭屋台天井絵の「怒涛図」の一部です。浮世絵(現在のイラスト)から最後は肉筆画へ移行していきます。 何度も画家の名前「号」を変えたことも有名です。号はメインとサブがあって代表的なものが「卍」「画狂老人」です。 葛飾北斎は1849年享年90歳で亡くなったとされています。作品数は3万点に及ぶと言われています。 横尾さんにも北斎を超えてほしいです。美術展楽しみにしています。

U2 「Songs Of Surrender」 過去をBrushUPする

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 今や世界を代表するU2の最新アルバム「Songs Of Surrender」が素晴らしい。私の場合は、Amazon Music Unlimitedからダウンロードして頻繁に聴いています。過去の作品で40曲を選び、新たな解釈で再録音した最新アルバムです。こんな素晴らしいアルバムが低価格のサブスクで聴けるとはいい時代になりました。 私が社会人の頃、プロデューサーがBrian EnoだったことからU2の「The Joshua Tree」から聴き始めました。叙情的かつ、男性的な骨太でゴツゴツとしたサウンドは、ニューウェイブなどのカテゴライズに収まらないスケール感を感じました。 「Where the Streets Have No Name」「With or Without You」「Running to Stand Still」等の名曲揃いですが、一番好きな曲は、アメリカのゴスペルにインスパイアされた「I Still Haven't Found What I'm Looking for」です。後半のゴスペルが感動的です。 今回のアルバムにも「I Still Haven't Found What I'm Looking for」が収録されていますが、アコースティックで渋い大人のバラードにBrushUPされています。単なるベスト盤と異なり、過去の曲に向き合いその曲を、今の年齢、今の情勢、今のテクノロジーに合わせて再構築することは、作品を自らBrushUPする点において、現代的な試みだと思います。 作品のヒットを記念して、4月22日(土)21:00から22:20までYouTubeチャンネルにて特別番組がライブ配信されます。楽しみです。

追悼 鮎川誠 昔のブログを発掘する Episode#2

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 追悼 鮎川誠 Episode#2です。追悼ブログを書くために、Googlebloggerにアーカイブ(保存)している、過去の自分のブログを久しぶりに、発掘してみました。 ときは、2014年、今から9年前の出来事です。私も当時56歳の福岡時代です。 恥ずかしいですが、以下に当時のブログの記事の一部を掲載します。 引用開始------------------------------------ 2014/09/28 ミュージックシティー天神 鮎川誠、今年66歳ですが相変わらず腕をぐるぐる回しての演奏がカッコイイ。この人は久留米出身で九州大学の農学部を出ています。東大出身の小沢健二ことオザケンが出る前までは、国立大出身のインテリ・ロッカーとして有名でした。数曲演奏後、満を持してバンドの女王様、シーナの登場です。辺りは日が落ちて暗くなり一気にライブも盛り上がる。 シーナこと、鮎川 悦子は北九州出身で今年60歳、グリーンで銀ラメのミニスカートのドレスが様になる。恐ろしい。It's scary. ------------------引用終了 今読むと恥ずかしい9年前の私がいます。「この人は」「It's scary.」は失礼な言い方ですね。この一年後にシーナさんは子宮がんで亡くなります。 そして、今はもう二人には合うことはできない。人は亡くなっても音楽・記憶・記録は残ります。「芸術は長く、人生は短い」 改めてお二人のご冥福をお祈りします。

追悼 鮎川誠 RealRocker Episode#1

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少し前のことですが、鮎川誠さんが2023年1月29日に膵臓がんのため亡くなりました。享年74歳でした。2023年になってからYMOに縁の深い70代のミュージシャンが3名亡くなりました。寂しい限りです。 高橋幸宏さんが彼のバンドを気に入り、同じアルファーレコードからデビューします。YMOメンバーがシーナ&ロケッツのバックを演奏したこともあります。 私は十数年間、転勤で福岡に住んでいました。福岡出身のシーナ&ロケッツのライブは福岡で2回観ています。2015年12月に福岡のTSUTAYAで開催された、鮎川誠さんと深町健二郎さん(福岡の人しか知らないイベントプロデューサー)とのトークショーにも行きました。 二人でブルース・ロックのレコードを聴きながら、好きなミュージシャンを熱く語っていました。彼のロックに対する愛情とリスペクトが感じられる、素敵なトークショーでした。2015年は愛妻のシーナさんが子宮がんで亡くなっている年です。さぞ辛かったと思います。 一方、彼は九州大学農学部卒業の初代、旧帝大出身のインテリRockerでもあります。地頭がよくて知的好奇心から、新しいことへ自ら挑戦します。 1996年、Windows95により、ようやく、インターネットが普及し始めてころに、ミュージシャン自らオフィシャルのHPを立ち上げたのも、彼が初めてです。この経緯は著者「DOS/Vブルース」に詳しく書かれています。 当時、ミュージシャンのPCはAppleのMacと決まっていてたのですが、あえてお洒落じゃないDOS/V(WindowsPC)を選んだのも彼らしい。選択の理由はPCのメモリ、グラフィックボード等の組み合わせが、自己責任で自由にできるからです。だから、DOS/VはRock。 HPに立ち上げ当時のHPの写真をあえて残していたのも、シーナさんを愛してやまない彼からの、ラブレターだったのかもしれません。 興味のある方は「鮎川誠 Web」で検索してみてください。1990年代のHP黎明期のデザインが、レトロで微笑ましいです。 Episode#2に続く。