アポロと万博とラジオ Back to 1969-70

 今回は今の私の職業と趣味の原点となった1967から1970年(小6から中1)の話です。

1969年、アメリカはアポロ11号で人類初の月面着陸に成功します。この偉業は全世界にテレビ中継され、当時小学6年だった私はテレビの前でずっと観ていました。月面のアポロ月着陸船「イーグル」もカッコ良かったですが、子供心を鷲掴みにしたのが宇宙船への司令を行うNASの「ミッション管制センター」の圧倒的なカッコ良さでした。巨大な部屋にコンピューターと通信機器がズラッと並び、宇宙船と英語で通信してました。小学校卒業文集に書いた将来の夢は「NASAに就職する。」でした。これがまだメインフレームと呼ばれる時代のコンピューターとの出会いでした。


そして、1970年、大阪でテーマ「人類の進歩と調和」の万国博覧会(通称:大阪万博 Expo '70)が開催されます。大阪万博はみうらじゅんを始め、多くの同世代の子供を熱狂させた夢のようなイベントでした。アメリカ館の「月の石」の展示を始めとし、科学技術の未来を謳う数多くのパビリオン(万博の建物のこと)がありました。大阪万博のプロデューサーで建築家でもあった丹下健三は、多くの気鋭の建築家や芸術家を万博に起用しました。横尾忠則の繊維館も凄い思いましたが、一番インパクトが強かったのが岡本太郎の「太陽の塔」でした。当時の中学生の私からは、岡本太郎は胡散臭い前衛芸術家としか見えませんでしたが、この「太陽の塔」にはなぜか心惹かれました。これがアートとの出会いでした。

大阪は長野県からとても遠い場所でしたが、どうしても大阪万博に行きたくて両親にお願いしました。その頃もう一つ欲しいモノがトランジスタ・ラジオでした。結局、大阪万博かトランジスタ・ラジオどちらかにしなさいと究極の選択を迫られて、選択したのがラジオでした。ソニーの「スカイセンサー」は高額だったので、横にゼンマイで動くスリープタイマーがついたナショナル(現:パナソニック)の「ワールドボーイ」を買ってもらいました。音楽は家族と一緒にテレビの歌謡曲しか聴いていませんでしたが、ラジオで一人で音楽を聴きことが出来るようになりました。これが洋楽と出会いでした。

以降、私は大学で「コンピューター」を学ぶために計算機学科に入学し、ソフトウェアを職業とし、現在に至ります。アートと音楽は趣味として、今でも私の人生を豊かなものにしてくれています。

今考えると1969-70は、重要なターニングポイントでしたがその原点は手塚治虫の「鉄腕アトム」です。科学技術が明るい未来を約束する。この考えは今も変わりません。

PS:その後、2000年代に転勤でパナソニックの中央研究所(通称:中研)で1年ほど勤務しました。社宅は兵庫県川西市にして、守口まで大阪モノレールで通勤していました。理由は途中駅の「万博記念公園」から毎日「太陽の塔」が見えるからです。笑

イラストはCanvaAIで生成「キーワード:月面着陸、トランジスタ・ラジオ」

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