邪馬台国は何処にあるのか? 九州VS近畿 レキシ#1

 私の趣味の一つが歴史です。私が若い頃は、歴史に興味はなく大河ドラマも見ませんでしたし、京都や鎌倉に修学旅行に行っても、昔の建造物よりもテナントなどの謎のおみやげに興味がありました。

歳を重ね、色々な経験や知識を得るにつれ、人類や日本人の過去の経験や考えたことを知りたくなります。今では毎週大河ドラマを見ますし、観光に行く前には予め神社や寺の成り立ちを予習するようにしています。

最近、佐賀県の吉野ヶ里遺跡で今まで、神社があったため発掘出来なかった場所から、新たな石棺墓が見つかりました。この石棺墓が女王・卑弥呼が統治した「邪馬台国」がどこにあったのかを探る手掛かりになる可能性もあります。

邪馬台国は、天皇が日本を統一する前の、2世紀 - 3世紀頃にあった国の一つとされています。中国の「魏志倭人伝」に卑弥呼と「邪馬台国」の記述がありますが、日本の古文書には記述がないため、存在自体について議論が続いてます。

「邪馬台国」の場所に関しては、大陸に最も近かった九州説と、多くの巨大古墳が出土した近畿説がありますが、決着はついていません。当然、九州地方の人は九州説、関西の人は近畿説を支持していますが、その他の人はどちらでも良いと思っています。

私は、福岡に転勤していたこともあるため、「邪馬台国」は九州にあったと考えています。福岡に住んで感じるのは「中国」「韓国」との近さであり、かつて「福岡」近辺が「大陸」との外交の入り口であったことは地政学的に理にかなっているからです。

過去の歴史を知る方法は大きく2つあると言われています。1つが歴史学と呼ばれる文書や記録、口承などの資料を分析し過去を知ること、もう1つは考古学と呼ばれる物理的な遺跡、化石や人骨などの証拠を通じて過去を知ることです。

つまり、「魏志倭人伝」と遺跡の発見の組み合わせで「邪馬台国」が特定できると言われています。

佐賀県の吉野ヶ里遺跡は実際に行ったことがありますが、非常に大きな村落の跡地であり「邪馬台国」であっても不思議はありません。一方、地理的にはかなり海から遠いため疑問視する声もあります。

今回の吉野ヶ里遺跡での新たな石棺墓の発見は「邪馬台国」議論に終止符を打つ「物証」になるかもしれません。

タイムマシーンが無い限り、過去の真実を完全に知ることは出来ません。歴史学と考古学を組み合わせて過去の真実を推理していくところが、知的な推理ゲームとしての歴史の面白さでもあります。

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